to top page 
 
■本の紹介・感想
 
会員が順に執筆します。本の選択は、執筆者に一任しています。800字〜1000字のネット上で一気に読める字数を基準にしますが、必ずしもこだわりません。
 
 
● 書評・「資本主義と闘った男」 佐々木実著 講談社
 

まるがめ医療センター・ 業務推進役 加藤繁秋

 

 私が鵜沢弘文を知ったのは2000年初めに「新自由主義」批判を内橋勝人と一緒に雑誌「世界」に発表されたものを読んだのが始まりです。それまでは「向坂逸郎」しか知らなかった私ですが、彼等の「新自由主義批判」は適格で心に染みるもので、とても新鮮でした。

学習会の資料にも使い、仲間と議論するときも彼等の論文を参考にしました。当時は新自由主義批判は「ケインズ経済学者」も批判していました。また、新自由主義の推奨者「ミルトン・フリードマン」についても調べてみました。彼はシカゴ大学教授でした。彼は、1964年、暗殺された故ケネデイ大統領の後を継いだ、リンドン・ジョンソンに挑戦したバリー・ゴールドウォーターの経済顧問を引き受けるなど政治へのかかわりが深かった人です。また、次の大統領選挙でも、共和党候補リチャード・ニクソンのアドバイザーを務めています。そして、レーガン大統領のときにフリードマンの経済思想が現実の政策に反映されることになったのです。彼の論敵が鵜沢弘文だったのです。

 

 このような関係から「鵜沢弘文」の論文を漁っているうちに、「社会的共通資本」に行き当たりました。「社会的共通資本」とは、生活・労働をしていく上で誰もが必要としている水、電気、交通などを「共有」にして、その運営をそれらの専門家によって行っていくというようなものです。他のサービス部門は市場経済に任すというものです。私は、当面の目指す方向はこれだと思いました。社会主義社会を平和的手段で成し遂げようと努力をしてきて、今日の状況を見たときに一挙に社会主義社会を目指すことは難しいと考えたからです。

 

 鵜沢弘文は、マルクスもレーニンの著作も読んでいます。しかし、彼はシカゴ大学でフリードマンと論争しているうちに、それだけでは太刀打ちできないと考え「社会的共通資本」にたどり着いたのです。「資本主義と闘った男」は、佐々木実氏が書いた「鵜沢弘文」の自伝です。シカゴ大学でフリードマンとの論争、米国での「赤狩り」にであったこと、また、新古典派経済理論との論争、世界の先輩学者たちとの論争など理論的にも、鵜沢の人間を知る上でも必読の書だと思います。

 

 

 
いま必読の2冊

@金子勝・大沢真理・山口二郎・遠藤誠治・本田由紀・猿田佐世『日本のオルタナティブ』(岩波書店、2020年、1700円)

Aデービッド・アトキンソン『日本人の勝算』(東洋経済新報社、2019年、1500円)

 

伊藤 修

 

 日本の現在は、経済、政治、社会意識のいずれも「劣化」「衰微」というべき状態であり、ひじょうにまずい。何が問題なのか。そしてどうすべきか。この喫緊の課題を考える手助けとして、最近の本から上の2冊を強く薦める。

 @は、経済(金子)、税・社会保障(大沢)、社会(本田)、外交・安全保障(遠藤)、沖縄(猿田)、政治(山口)と、現代日本の主要な問題である6分野をとりあげて、問題のありどころを分析し、対策を提言している。意見が違う点ももちろんあるが、だいたい納得、賛同できる。猿田の章は沖縄に押し付けられている問題への入門になり、大沢の章の(主に女性の)就業を抑制している理不尽な制度の分析など、勉強になる。テレビ局の認可を総務大臣から第三者委員会に移すべしとの提言などは、マスコミの翼賛化をみると、なるほどと思う。

 多くの方に読んでほしい。さらに、できれば本書を材料に討論の場をつくってもらえるとよい。一部意見が違おうが(それは当たり前のことである)、日本を救うための議論の素材として本書は好適だと思う。

 Aは、在日30年のイギリス人エコノミストが、日本経済が蟻地獄から抜け出すカギは賃上げ、とりわけ最低賃金の引き上げにある、とした研究である。著者は、世界の研究を調べた上で、先進国経済には、「High road capitalism」(高次元の資本主義)と「Low road capitalism(低次元の資本主義)とも呼ぶべき2つのあり方がある、との説を採用する。前者は北中欧が典型で、高賃金と高度な労働者、高い生産性を競争力の源とする。これに対して後者は、とにかく労働者を安くこき使うことに頼って勝負しようとする型である。日本は、人口がどんどん増えた高度成長期までは「低次元」でもよかったが、世界一の人口減少に陥った今でもまだ、世界に冠たる無能な経営者が、安さで勝負の一つ覚えを続けようとしている。その結果、すぐれた労働力を活かせず、生産性は低く、世界での地位を落としている。イギリスの先例のように最低賃金を上げ、賃金全体を押し上げて、「高次元」タイプのやり方に企業を追い込むしかない、というのが著者の処方箋である。

 以上の考えに私はまったく賛成である(一点だけ加えたいのは、賃上げに労働運動が貢献すべきという点だ)。日本人はアメリカ一国だけ見てマネせずにもっと世界各国を見よ、という忠告にもまったく賛同する。

 なおAと同じく賃上げが肝要とする本に、山田久『賃上げ立国論』(日本経済新聞社、2020年、1800円)もある。別の詳しい分析も付いているので、あわせて読まれるとよい。(2020.4.9掲載)

 

 
書評:小池和男著『仕事の経済学』
 
早瀬 進 
 

昨年、日本の著名な労働経済学者である小池和男氏の訃報が新聞に掲載された。その著書『仕事の経済学』(東洋経済新報社、初版1991年〜第32005年)は氏の労働調査をもとにまとめられた教科書である。ここでは、氏の研究を振り返りながら、この『仕事の経済学』を紹介する。

 

 小池和男氏は、東京大学の故氏原正治郎氏の研究に対する批判を出発点としながら、熟練形成の国際比較を進め、日本の熟練の特質を明らかにしようとした。氏原氏は、京浜工業地帯で行われた労働調査に基づく論文「大工場労働者の性格」(1953年)の中で、日本企業は不熟練労働者を採用した後、企業内の訓練により熟練労働者を育成していくことに注目し、これを日本的な熟練形成と把握した。

 

この氏原氏の見解に対して小池氏は疑問を呈し、米国等の労働調査により、欧米にも企業内の熟練形成が見られることを明らかにした。小池氏は『仕事の経済学』初版の中で氏原氏の見解を「日本的熟練」論と規定して批判している。それでは小池氏は、日本の労働者の熟練をどのようなものとして考えているのであろうか。

 

小池氏によれば、日本の労働者の技能は「知的熟練」であるという。知的熟練とは、「問題と変化をこなすノウハウ」である。それは「問題への対処と変化への対応」ができる技能であり、具体的には問題の原因推理や不良の原因の手直しができ、生産方法への変化等にも対処できる技能を意味している(第2版、pp.12-16)。問題処理には機械の構造や生産のしくみの知識が求められるため、この技能を「知的」熟練と氏は呼んでいる。

 

氏はこの知的熟練のために、日本のブルーカラーの賃金は年功的なカーブになると見ている。しかしこの見解に対しては、若干の疑問を抱かざるをえない。ドイツのマイスターは上記のような知的熟練を有していると推測されるが、ドイツの賃金は日本とは異なり、職務給となっているからである。

 

 このような疑問があるとはいえ、『仕事の経済学』は、精力的な調査と、そこから一般的な命題を抽出しようとする氏の研究姿勢から生まれた学術書である。それはマルクス経済学に立脚する書物ではないが、終身雇用や年功賃金に関わる問題提起も展開されており、その意味でも興味深い。また、氏が高齢者の雇用の継続に寄与する主張をしていたことは記憶しておくべきことである。日本の高齢労働者が蓄積した熟練の重要性を指摘している点でも、同著は傾聴に値する。(2020年3月15日掲載)

 

 
●田上孝一『マルクス哲学入門』
                                                                          瀬戸宏

 著者の田上孝一氏は1967年生まれで、大学院生時代からマルクスを哲学者として研究し、マルクス疎外論研究で博士の学位を得た。『初期マルクスの疎外論−疎外論超克説批判』(時潮社、2000年)は、博士論文を刊行したものである。立正大学講師などを務めながら、哲学、倫理学の研究を続けている。社会主義理論学会事務局長でもある。
 
 田上氏には単著、編著をあわせて多数の著書があるが、この『マルクス哲学入門』(社会評論社、2018年,1700円+税)は一般読者向けに入門書として書かれたものである。田上氏によれば、日本ではマルクス(主義)経済学入門書は多いけれども、マルクス主義哲学入門書はこれまで三冊しかなく、「マルクス哲学」と題する入門書はこの本が最初とのことである。
 
 本書は130ページ余りの著作だが、扱っている問題は幅広い。本書の特徴は、題名の通り、マルクス没後に整理された“マルクス主義哲学”ではなく、マルクス自身の哲学思想を描き出そうとしていることである。本書の核心的内容は、疎外論は初期マルクスの見解でマルクスは後に疎外論を克服した、という通説を否定し、マルクスはその逝去まで一貫して疎外論者であり、『資本論』も人間疎外克服をめざすマルクスの思考の所産であるとみなしていることである。
 
 この観点にたって、本書は11章に分けてマルクスの生涯と主要著作を概観すると共に、マルクスとエンゲルスの関係、旧ソ連など現実社会主義をどう考えるか、マルクスの環境問題へのアプローチが分析される。環境問題を扱った第11章は、マルクスの思想が十分に今日の環境保護問題に適用できることを主張している。
 
 本書には、第10章で展開されている現実社会主義の分析など、私と考えが異なる部分もある。『資本論』を論じた第7章のようにもっと詳細に分析してほしいと思う箇所、『ゴーダ綱領批判』と未来社会を扱った第8章など必ずしも平易とは言えない箇所もある。そうではあっても、本書は一つのマルクス像を体系的に提出しており、今日マルクスに関心を持つ人が著者の見解に同意するか否かにかかわらず、読んでおくべき内容と言えよう。(2020年2月3日掲載)
 
 
J・ソール『帳簿の世界史』文芸春秋、2015

J・G・ホワイト『バランスシートで読みとく世界経済史』(日経BP社、2014年)

 

                    熊谷 重勝
 

どちらも世界史の話を簿記の発展史からわかりやすく解いた本です。

 

だいぶ前のことになりますが「複式簿記は資本主義的企業の概念を作り出した」という見解が経済学者から発せられたことがあります。『近世資本主義』(1921年)という本の中のヴェルナー・ゾンバルトのことばです。

 

そんな捉え方は逆だろうという意見が唯物史観を学んだ人からは出てきそうです。でも古いさまざまの資料を見つけ出して帳簿の歩みを調べてみると複式簿記の「偉大さ」が見えて、どうも資本主義の発展に及ぼした簿記の影響力に感動せざるをえなくなるようです。

 

そんな複式簿記の偉大さについてはドイツの文豪ゲーテが『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』のなかで語らせています。これから旅に出かける主人公に向って友人が「複式簿記が商人にあたえてくれる利益は計り知れないほどだ。人間の精神が産んだ最高の発明の一つだね」と言わせています。

 

さてJ・ソール『帳簿の世界史』は、世界地図や当時の元帳、風俗画を多く掲載して、帳簿の世界一周となっています。簿記の起源を古代ローマの時代まで遡るかは意見が分かれるところですが、中世イタリアの商人活動、フランス革命期の国家財政、産業革命期イギリスの鉄道会計、大恐慌期アメリカの会計事務所と監査など、帳簿の歩みを興味深く辿っています。世界史という背景のもとで帳簿の歩みをみることは歴史や会計の専門家でなくても楽しいものです。

 

またJ・G・ホワイトは『バランスシートで読みとく世界経済史』のなかで「複式簿記の影響力の大きさに最初に気づいたのは、あまり知られていないが、19世紀のイギリスの簿記に特別な関心を寄せていたマルクスだった。…会計は生産工程、とくに付加価値が生み出される動きを可視化するためのものだった」と明言しています。

 

最近の社会のようすを短期でみたら未来への展望が見えにくいかもしれませんが、世界史という大きなスパンでみたら、この社会もいずれは終焉を迎えるんだという進化論的楽観に辿りつきそうです。                                                     (20191227

 
 
●橋本健二『アンダークラス ―新たな下層階級の出現』
                  
(ちくま新書、2018年、820円+税)
                                    立松 潔
 
 1990年代以降、デフレ不況が長期化する中で非正規雇用労働者が増加し、格差拡大と貧困問題が深刻化した。本書は日本社会の底辺に生きる非正規雇用労働者に焦点を据えてその実態を明らかにし、格差や貧困を解消するための方策について提言する。
 
 本書の定義によれば、アンダークラスとは非正規雇用労働者のうち、パート主婦と非常勤役員・管理職、専門職を除いた人びとのことである。現在の日本のアンダークラスの人数は930万人、就業人口の15%に達し、その平均年収は186万円、貧困率は38.7%だという。
 
 格差や貧困をめぐる実態について個別事例を紹介した文献は数多く出版されている。しかし、本書は個別事例の紹介ではなく、2015年に実施された「社会階層と社会移動全国調査(SSM調査)」と2016年の「首都圏調査」のデータをもとに統計的な分析が行われている。このアンケート調査の回収数は前者のSSM調査は7817人、後者は2351人である。
 
 この調査データをもとに本書は、年齢(60歳未満と60歳以上)と性別によってアンダークラスを4つのグループにわけ、4章から7章においてそれぞれについての特徴を明らかにしている。このようにして個別事例だけではわからないアンダークラスの人びとの意識や生活実態が統計的に明らかにされているのが、本書の優れた特徴である。
 
 本書の主張するところは、格差と貧困を解消し、アンダークラスの人びとがこの社会のなかに安定した場所を確保し、他の人びとと同じくらいの満足と幸福を得ることができるようにすることである。しかし現在の政府・自民党とその支持者達は自己責任論を掲げ、所得の再分配による格差や貧困問題の解決には否定的である。
 
 そして最大の問題はアンダークラスの人びとが政治に関心を失い、政党との結びつきも極めて弱いことである。本書が主張するように、所得再分配による格差の縮小と貧困の解消を中心課題に据え、アンダークラスの人びとを結集し、その要求の実現に向けて運動を進めることが、問題解決のためには不可欠である。本書はそのための道筋や取組みを検討するための重要な情報を提供してくれている。貧困と格差の問題解決に取り組む多くの人に読んでもらいたい本である。
(2019.11.25掲載)
 
 
ヘゲデューシュ(平泉公雄訳)『社会主義と官僚制』 (大月書店、1980年)

杉本龍紀 

 

ハンガリーのヘゲデューシュ・アントラーシュが1976年に出版した論文集(邦訳は1980年)である。

ヘゲデューシュは、第2次大戦期の共産主義運動から、ハンガリー勤労者党中央委員を経て、1956年のハンガリー動乱(事件)勃発時に首相を務め、地位を追われた。その後、社会学者として研究の世界に転じ、中央統計局副長官や科学アカデミー附属社会学研究所長などにも就いたが、官僚制に関わる批判的論文により、73年に社会主義労働者党から除名されたとのこと。収録された論考は、東欧諸国では先駆的だった68年からの「新経済メカニズム」導入(「市場社会主義」の実験とされた)を前後する時期のものである。

 

ポイントは2つ。第1に、社会主義において国有であれ協同組合所有であれ、集権的国家行政システムであれ自主管理であれ、企業の内部には、一方では、専門知識を有し職業的に統治と管理を担う専門統治集団が専門化・ヒエラルヒー化・規格化を特徴とし権力的決定権限を有する専門統治機構を形成し、他方には、この権力構造に加われず権力行使の対象となる勤労者、という二分化が必然的に発生し、専門統治集団が官僚制を形成するという理解である(「官僚制」と「官僚主義」は明確に区分される)。

 

社会主義における「官僚制」は、「社会発展の現段階では」「これまでの経験では」、「歴史の必然性」であるとする。この理解は、旧ユーゴスラビアでの「官僚主義的中央集権主義」を廃絶し社会統治と専門統治に伴う権力を「勤労者の共同体」に移譲することを目的としていた社会的自主管理の経験にも共通する。自主管理機関に十分な専門知識などがないままに専門統治機構が不可避的に形成されたとされる。

 

とはいえ、この官僚制は「最も厳密な意味」では、社会の発展が分業などの一定段階において不可避的に生み出した一歴史現象にすぎず、いずれ、勤労者の社会から分離した統治機構を不要とする発展段階がくるはずである、とも述べる。

 

2に、専門統治機構は社会的分業において独自の位置を占め、社会の普遍的利害と目的に一致しない局部的利害と目的をもち、自己の自立性、独占的地位すら求めうるもので、「最適化基準」には適合するが「人間化基準」と矛盾する存在であるとの主張である。

そこで、専門統治機構に対し、新たに設置資する企業監督委員会による社会的統制を進めて、勤労者が行動する社会集団に専門統治集団を従属させるなどの、専門統治権力に対する社会的支配を打ち出している(有効性や現実性は不明だが)。

 

社会主義体制の崩壊に伴って、市場社会主義的な議論とともに協同社会的な社会構想が打ち出されてきたが、その社会構想において「企業」的な経済組織への現実的な関心が薄い気がする。40年以上前の書物だが、社会主義社会における階層分化の根拠とともに、企業における現実的な諸関係に目を向けさせるものでもあった。

(2019.10.28掲載)

 
 
●米原謙『山川均―マルキシズム臭くないマルキストに―』(ミネルヴァ書房、2019)。
                                                   平地一郎
                                                                               
 私の最も尊敬する労農派マルクス主義者・山川均がこのように世間に知られていくのは嬉しい限りである。

  もとより、その「終章」での山川評にはあまり賛同できないが(「マルクス主義をめぐる山川の長い道のりは、マルクスから学び、その実現に向けた歩みだったが、それは最後にはマルクス主義の根本命題を否定する行きついたのではないだろうか」〈313頁〉)、しかし著者自身が西欧社会民主主義への(おそらく)親近感から山川均をそう肯定的に評価するわけだから、それはそれで構わないと思う。それだけ山川均は懐が広い。他者からの評価は細部についてはあまり気にしないことが肝要。

 山川均の伝記物には、山川菊江・向坂逸郎編『山川均自伝』(岩波書店、1961)がある。どういうわけか私の本棚にあるのは、たぶん学生時代に神田の古本屋で購入したものと思う。こちらの方が山川均の歩みと思想を知る上で私にはしっくりくるが、他方、本書も、興味あることを沢山教えてくれる。

  なかでも、第7章(東アジアの「山川主義」)。山川均の著作の中国語訳の何と多いことか。中国では、1911年の辛亥革命後、日本経由でマルクス主義思想を受容した経緯がある。そのなかでの山川均の影響力。譚王路*美『中国共産党を作った13人』(新潮新書、2010年)によれば、その多くが日本での留学を経験している社会主義者で、また雑誌『改造』に寄稿する者(李漢俊)もいた。歴史の歯車が少し違えば(13人の大半はその後離党・殺害などで中国共産党の源流にはならなかった)、中国は「労農派」的な社会主義建設をしていたかもしれないと勝手に想像してみたりする(ただし歴史にイフは禁物だが)。

 
  本書によって、多くの人が労農派の思想に少しでも触れる機会があれば、山川均の思想を広く「販売」したい私としては、言わば、労せずして丸儲けの感がある。
(2019.9.24掲載) 
*王路は一字